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2014年2月11日 (火)

アエラの報道に思う(偽ベートーベン騒動関連です)

アエラが面白い記事を出している。
http://dot.asahi.com/ent/culture/2014021000056.html

簡潔にいえば、「アエラは佐村河内守を取材したが、一度のインタビューであやしいと思って掲載を見送った。」

一度で見破れる、このレベルの偽装だったということ。

論調として最近、密着していたNHKへの 同情論(見抜くのは難しかったに違いないという論調)を見かけるがこれは大いに間違っていると思う。なぜなら、彼らは見抜いていたが、それでもついつい色々なしがらみでやらせに近い番組を作り、放送したと思うほうがまだ、救われるから。
同情論を取るとする。すると、今回の偽装にまったく気がつかないほどNHKの取材力のレベルが低いということになってしまう。私もジュネス時代に10年にわたりお世話になっていたNHKの音楽芸能部は、音楽学出身の社員の方などもいる、音楽と芸能の専門家集団。そんな部門を持っていながら、見抜けなかったことになる。アエラの一度の取材以上にレベルが低く、周りの裏も取らないほどレベルが低い、ということになる。さすがにそんなことはないと信じたい。

実際、残念ながら、自分を本当の自分よりはるかに違う売れやすい存在に見せて、なんとか売りだしたいと余念のない人はいる。私のまわりにでさえ、売名のためか、虚言癖なのか、とんでもない誇張たっぷり(というかほぼ嘘)のプロフィールを平気で掲載し、売り込みをかけている人もいる。
そういう人は多分、あんまり嘘を思いこみ過ぎて人を騙しているという感覚すらなくなっちゃってることも多いんだと思う。結果、騙されている人もいたりするし。

実際「そんな学校ないよ、そんな制度ないよ!あなたが卒業したと言っている日本人が二人くらいしかいないその学校、その当時の日本人同級生のはずの人に聞いてもだあれも貴方を知らないよ!」といったとんでもない経歴を語るひと、、、簡単にいえば経歴詐称な人って音楽の世界だけじゃなく、会社でも見かけたりするし、探せば実は結構いるんだろうと思う。

私の周りのマスコミに携わる人を見ていると、みなさん色々防衛策を取っているように見える。金持ちの周りにどうしても金目当ての人が集まるように、自分の売名目当てそういう人が自分に集まる可能性が高 いこと、そういう人に囲まれていることは自覚していると思う。どんなに「これは行ける話だ」と思ったとしても、自分の持つメディアの発信力を鑑みて、必ず チェックを掛けていらっしゃるように見受けている。マスコミの方、、、記者さんに限らず、、、必要な取材力の一つなのだと思う。

今回の事件では、マスコミの善管注意義務が効かなかった、ということに対しては、ことにNHKに猛省を則したい。何といっても、これをきっかけに、一部の心ないマスコミの人の行動を元に、徒に音楽御取材のハードルを上げ、報道を制限することがないように心からと願っている。「やっぱり音楽ネタは危険だし売れない」などとは考えないでほしい。

あんまり分見込んで書くのはさすがにはばかられるが、そもそもクラシック音楽の場合、大した取材をしていない表層的なネタばかり取り上げられがちなんだもの。売れないに決まっていると思っている。

むしろ、反省を元に、より適切な方法での取材とより意義のある内容を積極的に探し、取材し、取り上げていただければと切に願う。だって、みんなが知らないだけで、日本には、ちゃんと探せば志の高い、もっと世にストーリーを語らせるべき面白くて素晴らしい音楽家もたくさんいるのだから。

2014年2月 8日 (土)

佐村河内、新垣騒動に思う

私は直接新垣氏を存じませんが、私が尊敬する、一緒に演奏をしてくださっている多くの演奏家が彼を知っており、皆が彼を音楽に真摯な素晴らしい人だと思い、全面的に新垣氏を支持していることは、意味があると思っております。

その上で、このブログに書かれていることに心から同意します。確かにクラシック業界は何故か聴衆を考えることが(ポップスなどに比べて)少なくてもいいと されていて、さながらファインアートのように生産/演奏されている。でも時間を超えられるアートと異なり、時間を共有する事でしか伝わらない音楽は、もう少し誰 にいつ聴いて貰いたいかを考えて生産/演奏する必要があるとも思う時はあります。

一方、聴衆のみなさんにもクラシック音楽は(よく考えてみれば音楽に限りませんが)必ずと言っていいほど「お涙頂戴」の物語のサイドストーリー、本質の音 楽と関係ない事が前面にないと聴かない、というのはそろそろやめにして、少し他の曲も聴いてみるという姿勢をもちたいと思ってもらう事は出来ないか?とも 思います。だって、そんなサイドストーリーがある曲を聴いていい音楽だと思うのなら、サイドストーリーが無くても聴かれている曲には素晴らしいものがたく さんあるわけで。偶然その曲を聴いて良いと思ったなら、もうちょっと周りに興味を広げて頂ければもっと好きになるものがいくらでも見つかるはずだからで す。(まだあまり私にもここのブリッジをどうすべきかの解は無いのですが)

クラシック音楽も音を楽しむためにあるのであって「お涙頂戴」のサイドストーリーが無いと感動しないわけではないはず。実際今回の曲もよくできたものだと思う人も多かったからヒットしているわけで、音楽その物には何の罪もない。

サイドストーリーの「お涙頂戴」がきっかけだったとしても、映画やドラマと同じように音楽そのものから生まれるストーリーに感情は動いているはずです。ク ラシック音楽でも、色んな感情…ハッピーになったり、元気づけられたり、ほんわかしたり…軽いものから重いものまで、きちんとターゲットを設定してテク ニックということだけではなく、高いレベルで伝えて行くこと。演奏者の端くれに名を連ねるものとして心したいと思っております。

ついついのとりとめない長文、失礼しました…

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